第2次世界大戦末期の1945年8月8日、ソビエト連邦(当時)が中立条約を結んでいた日本に宣戦布告しました。ソ連は日本が無条件降伏した8月15日になっても停戦せず、当時の満州地域のほか、9月初めまでには千島列島全域を占領しました。防衛研究所戦史研究センターの花田智之主任研究官は「明白な条約違反であり、戦後の日ソ関係に負の政治的遺産をもたらした」と語ります。
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――なぜ、ソ連は8月8日に宣戦布告したのですか。
当時の公文書史料から、ソ連の最高指導者だったスターリンが8月中の参戦を考えていたと推測されています。ソ連軍最高総司令部は6月28日、満州の関東軍(大日本帝国陸軍)を3方向から攻撃して壊滅させる方針を決める秘密指令を出しました。同時に、8月6日に米国が広島に原爆を投下した直後から、ソ連の動きが激しくなりました。
スターリンは7日、対日参戦を早めるよう指示を出し、8日に宣戦を布告、9日未明には満州に攻め込みました。ただ、8月9日はくしくも、スターリンが45年2月のヤルタ会談で密約した「ナチス降伏から3カ月以内の対日参戦」の期限でもありました。
――スターリンは日本の無条件降伏で、停戦を考えなかったのですか。
連合国軍最高司令官に就いた米国のマッカーサーは8月15日、ソ連のアントーノフ参謀総長に軍事侵攻を中止するよう指示しました。
しかし、アントーノフは「ソ連軍が軍事行動を停止するか、継続するかは、ソ連軍最高総司令官(スターリン)によってしか決定されない」として指示を無視しました。
ソ連軍は8月19日までに満州全域、25日までにサハリン(樺太)全域をそれぞれ占領し、18日には千島列島の占守島に上陸しました。戦闘は日本が降伏文書に調印した9月2日以降も続き、ソ連軍は5日までに千島列島全域を占領しました。
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